私財を投じ、生涯をさくらの保護育成に捧げた櫻男
小説「櫻守」(水上勉/著)のモデルにもなった笹部新太郎氏。日本古来の桜を愛し、品種保存や改良、保育技術の研究に生涯を捧げました。同氏が研究に使用した演習林「亦楽山荘」は、蘇東坡の詩の中の「此間亦有楽」から名づけられ戦前の亦楽山荘は充分な手入れがされていて華やかな「桜の園」だったようです。戦中戦後の混乱で随分と荒れ果て、その後も経済的年齢的な問題から往時の姿に戻ることはありませんでした。
笹部氏没後、一時有志の手により手入れされていたが、植えられていた桜の殆どは蔦に締めつけられて立ち枯れの状態でした。その後、遺族からの寄付と宝塚市の購入により、兵庫県の「ふるさと桜堤回廊(日本海と瀬戸内海を桜でつなごう、円山川と武庫川を結ぶ)」の中間地点として「桜の園ハイキングコース」を整備、桜の植樹を始めました。大震災で予定は大幅に遅れましたが多くのボランティアの手伝いもあり、平成11年4月にオープンしました。その後、ボランティア“櫻守の会”の皆様によって守られてます。
大阪の堂島に生まれ。東京帝国大学法科(現東京大学法学部)在学中から桜の研究を始め、卒業後に犬養毅の秘書をした後、宝塚市切畑長尾山の麓に桜の研修を行う演習林「亦楽山荘」を造園する。本来の日本の桜であるサトザクラ、ヤマザクラの保護育成に生涯を捧げた。大阪造営局の通り抜けの桜、西宮市夙川、甲山周辺の桜の管理指導など桜に関わる多くの事業を手掛けたが、中でも1960年(昭和35年)に行われた岐阜県御母衣ダムの建設で水没する荘川桜(エドヒガン、樹齢:400年)の移植は、世界の植林史上においても稀有の業績と評価されている。