
「逆瀬川砂漠」
明治時代、大雨のたびに氾濫を起こし、人々を困らせていた逆瀬川。その川幅は150~200mもある石河原で「逆瀬川砂漠」と呼ばれていました。暴れ川としても有名だったこの川の氾濫の原因は、源流となる六甲山の地質によるものでした。 六甲山特有のもろい花崗岩が、風化し土砂となり、大雨のたびに流域の川へ流入したのです。土砂が堆積し川底が上昇するため、いたるところで水害が起こっていました。
六甲山地東部の樫ヶ峰を源流とし、 宝塚の市街地部において武庫川に流入している 逆瀬川。夏になると、上流地域では蛍も見られます。
「六甲山系初の砂防工事」
明治25年(1892年)7月の水害をきっかけに、明治30年(1897年)六甲山系初の砂防工事が開始されました。当初は上流部の崩壊・荒廃地での山腹工事が中心で、山肌に木を植え、発生源対策が進められました。その後、大正時代にかけて中流付近まで施工され、昭和3年から9年にかけては、日本で初めての大規模な川幅18mの玉石積流路工が施工されました。
※流路工:川の中に水が流れる路をつくる工事
逆瀬川流域には、昭和初期の石工技術の粋を集めた鎧積堰堤などの日本近代砂防史上有数の構造物も多数現存し、砂防技術の宝庫となっています。
「自然との共存」
これらの砂防工事により、逆瀬川の流域には緑が回復し、河川も安定しました。昭和13年の「阪神大水害」では表六甲川の住吉川や芦屋川に比べ被害も少なく、現在では宝塚を代表する住宅地へと発展しました。平成3年(1995年)砂防事業の100周年を記念してゆずり葉緑地公園が建設。内部には砂防の歴史や、働きが記されています。
数々の苦難を乗り越え、安全な暮らしを実現した先人達の偉業を称え、
もう一度、防災について考える機会を与えてくれる場所です。
写真はゆずり葉緑地公園内の砂防モニュメント。同公園には阪神・淡路大震災の「鎮魂の碑」も建立されています。