「進駐軍に接収された宝塚ホテルの代用として」
青松の美しい庭園で撮影された、一枚の結婚式の集合写真。
親類や友人達に囲まれて、第1歩を踏み出した新郎新婦。写真の裏には『昭和29年2月10日』の記載が。

撮影場所は「宝塚会館の庭園」。
今はもう、その存在を知る人も少なくなっています。
当時「宝塚会館」は、進駐軍に接収された宝塚ホテルの代用として利用されることもしばしばありました。写真の結婚式も、そんな時代のさなかに執り行われたのです。
「宝塚会館で踊って 宝塚ホテルに泊まる」
大正後期から昭和初期にかけて、現在の中洲に約一万坪の敷地を有した遊楽地「中洲楽園」。
パイプで引いた宝塚温泉の湯を売りに、別荘地を分譲していました。
宝塚ホテルがこの敷地内に「宝塚会館」という名のダンスホールを開業したのは、昭和5年のこと。
一度に300組600人の舞踊が可能という会館は「東洋一の舞踊の殿堂」と評されました。
豪華な内装や、足を痛めないようコルク張りの床下にスプリングを埋めるといった心配りも、主意のホールに比べ群を抜いていました。
「宝塚会館で踊って、宝塚ホテルで泊まる」ことが、当時の流行でもあったようです。
宝塚の街に受け継がれる“モダン”な風土
昭和27年には京阪神急行電鉄、阪急バス、宝塚ホテルが協力して、乗車券付き宝塚会館ダンス同伴券(500円)を発売。利用客誘致をはかりました。

平面が楕円形という、ユニークな形状の宝塚会館。
ドイツのクロロカルテン市営ダンスホールがモデルといわれる。
モボ・モガが華麗なステップを踏んだホールは、昭和33年、役目を終え、宝塚映画制作所の拠点に。
昭和40年代に、その姿はなくなりましたが、東洋一とうたわれたダンスホールが残したモダンな風土は、今も宝塚の街に受継がれているような気が一足します。