「武庫川の大柳の下の霊泉で病が癒える」
今は昔の物語。ときは室町時代。
貧しい一人の老女が体をわずらい、苦しみながらも中山寺にお参りしておりました。
ある夜、僧侶が夢枕に立ち、老女に告げたといいます。
「武庫川にある大柳の下(現在のナチュールスパ宝塚付近)に湧いている霊泉で湯浴みをすれば病は癒える」
僧侶のお告げどおりにすると、間もなく老女の病は癒えたそうです。
塩尾寺(えんぺいじ)縁起には、そんな言い伝えが残されています。
※塩尾寺:聖徳太子が四天王寺を建立され、念仏三昧に入られた時、はるか武庫山の上に弥陀・観音・勢至の三尊が降臨されるのを感得され、七つの寺々を建立し観音菩薩像を安置されたと伝えられている。武庫の七寺の伝承では、塩尾寺には十一面観音菩薩が祀られた。

宝来橋の移り変わり(写真提供:宝塚市教育委員会)
「酸っぱい水」と「塩辛い水」
ときは流れ・・・明治。
武庫川の川下に「酸っぱい水」と「塩辛い水」が湧いていることは、人々の知るところとなっていました。
17年、後に「旅館分銅屋」を創設する小佐治豊三郎氏が、この水を医師に試飲してもらい、鉱泉であることが判明。
明治20年5月5日に「宝塚温泉」と名付け、現在の湯本町に開湯したのです。
明治44年には、阪急電車の前身である箕面有馬電気軌道が「宝塚新温泉」を開業。
ハイカラな洋風建築、大理石造りの浴場など、温泉客を湧かせるしかけがいくつも用意されました。
隣の室内水泳場は、運営に失敗。
しかし、創始者である小林一三氏が脱衣場を舞台に、プールを観客席に改造しパラダイス劇場が誕生。
ここから「宝塚少女歌劇」の幕が上がることになります。

現在の宝来橋(写真奥:宝塚温泉 ホテル若水)
通称“S字橋”と呼ばれるこの橋のデザインは、フランスの女流彫刻家マルタ・バンによるもの。
開湯116年。新たな歴史を刻む
昭和3年、宝来橋のたもとで開業した「宝塚旧温泉ホテル」。
戦後、「宝塚第一ホテル」として再スタートを果たしましたが、大阪・万国博覧会以降は湧出量が減少し、平成6年に解体。
そして、市は「湯のまち宝塚」の復興をめざすため、新たな泉源を掘削したのです。
開湯116年。それぞれの時代を反映するように盛衰を繰り返してきた宝塚温泉。
今、その新たな歴史が刻まれようとしています。